中学受験・高校受験のための国語読解力 ~小説編④~

 平成27年度の屋代・諏訪清陵附属中適性検査問題が先日実施されました。ご存知の方も多いでしょうが、この適性検査に「国語」という科目はありません。(「数学」という科目もありません。)科目名は「適性検査Ⅰ」「適性検査Ⅱ」です。平成27年度長野県立中学校入学者選抜適性検査問題はこちらですので、実際に目を通して解いてみるとよくわかりますが、「適性検査Ⅰ」では「文章・表・グラフを素材としたに言語表現に対する思考力や論理能力」が問われています。(「適性検査Ⅱ」では「数・量や自然に関する思考力や観察力」が問われています。)もちろん、受験用には、文章だけではなく、実際の検査同様のグラフや表を多用した、さまざまな設問のある問題で実力を高めるのが必要ではありますが、ただし、それでもやはりこの「適性検査Ⅰ」の(あるいは場合によっては「適性検査Ⅱ」の)根底にあって必要とされる絶対的な力は「読解力」なのです。文章内容やグラフや表をしっかりと読み、「なぜわざわざそのように書くのか?」「なぜそのような表やグラフが必要なのか?」を考え、筆者や出題者と対話すること。そして「おや、なんだろう」「これでいいのかな」と自分と対話すること。そのような対話を通して、自分の考えを普段からしっかりともって言語表現に対処していくという態度が、ここで試されているのです。ただ、最初の最初から、堅い文章や、図や表を用いた問題形式のものにあたるのはなかなか集中力が続かず、長続きしない場合もあります。もちろん時期にもよりますが、あまり「適性検査Ⅰ」という形式にこだわらず、今述べているような「小説」などを通して、徐々に考える力、対話する力を身につけていけばよいでしょう。
さて、今回は「文鳥」の最後の部分です。漱石が愛情を持って接していた文鳥はどうなってしまうのでしょうか。
では、次の部分をまず一通り読んで下さい。
次に、もういちどこの文章を読みながら、わからない語句(1度目に読んだ時に線を引いてあると思いますが)を辞書で引きながら、しっかりと読み進めて下さい。
そして、もう一つ大事な作業があります。読みながら、「対比」「例示・比喩」「問題提起・答」「構成・変化」を意識してみてください。そして、「対比」「例示・比喩」「問題提起・答」「構成・変化」だと思われる部分があったら、青線(青マーカー)を引いてみましょう。
また、読んでいて「おや、いつもと違うぞ」「あれ、なぜ作者はわざわざそれを書くのだろう」という部分には赤線(赤マーカー)を引いてみましょう。
さらに、「この場面いいなぁ」「ここはひどいなぁ」と心が強く動かされた部分には一言でいいので感想を書いてみましょう。
このように、本に線を引きながら、自分と対話しながら、さらに作者と対話しながら、ゆっくりと読み進めてほしいと思います。もし手元に本がない場合は、手元の紙に該当箇所を書き抜くといいと思います。ただ画面を眼で追うよりも、手を動かすことによって、対話が深まり理解力は増します。
では、夏目漱石の「文鳥」の最後の部分です。
 翌日あくるひ文鳥は鳴かなかった。粟を山盛やまもり入れてやった。水をみなぎるほど入れてやった。文鳥は一本足のまま長らく留り木の上を動かなかった。午飯ひるめしを食ってから、三重吉に手紙を書こうと思って、二三行書き出すと、文鳥がちちと鳴いた。自分は手紙の筆を留めた。文鳥がまたちちと鳴いた。出て見たら粟も水もだいぶん減っている。手紙はそれぎりにして裂いて捨てた。
翌日よくじつ文鳥がまた鳴かなくなった。留り木を下りて籠の底へ腹をしつけていた。胸の所が少しふくらんで、小さい毛がさざなみのように乱れて見えた。自分はこの朝、三重吉から例の件で某所まで来てくれと云う手紙を受取った。十時までにと云う依頼であるから、文鳥をそのままにしておいて出た。三重吉にって見ると例の件がいろいろ長くなって、いっしょに午飯を食う。いっしょに晩飯ばんめしを食う。その上明日あすの会合まで約束してうちへ帰った。帰ったのは夜の九時頃である。文鳥の事はすっかり忘れていた。疲れたから、すぐ床へ這入はいって寝てしまった。
翌日あくるひ眼がめるや否や、すぐ例の件を思いだした。いくら当人が承知だって、そんな所へ嫁にやるのは行末ゆくすえよくあるまい、まだ子供だからどこへでも行けと云われる所へ行く気になるんだろう。いったん行けばむやみに出られるものじゃない。世の中には満足しながら不幸におちいって行く者がたくさんある。などと考えて楊枝ようじを使って、朝飯を済ましてまた例の件を片づけに出掛けて行った。
帰ったのは午後三時頃である。玄関へ外套がいとうけて廊下伝いに書斎へ這入はいるつもりで例の縁側へ出て見ると、鳥籠が箱の上に出してあった。けれども文鳥は籠の底にかえっていた。二本の足を硬くそろえて、胴と直線に伸ばしていた。自分は籠のわきに立って、じっと文鳥を見守った。黒い眼をねぶっている。まぶたの色は薄蒼うすあおく変った。
餌壺えつぼにはあわからばかりたまっている。ついばむべきは一粒もない。水入は底の光るほどれている。西へ廻った日が硝子戸ガラスどを洩れて斜めに籠に落ちかかる。台に塗ったうるしは、三重吉の云ったごとく、いつの間にか黒味がけて、しゅの色が出て来た。
自分は冬の日に色づいた朱の台を眺めた。からになった餌壺を眺めた。むなしく橋を渡している二本の留り木を眺めた。そうしてその下によこたわる硬い文鳥を眺めた。
自分はこごんで両手に鳥籠をかかえた。そうして、書斎へ持って這入はいった。十畳の真中へ鳥籠をおろして、その前へかしこまって、籠の戸を開いて、大きな手を入れて、文鳥を握って見た。やわらかい羽根はひえきっている。
こぶしを籠から引き出して、握った手を開けると、文鳥は静にてのひらの上にある。自分は手を開けたまま、しばらく死んだ鳥を見つめていた。それから、そっと座布団ざぶとんの上に卸した。そうして、はげしく手を鳴らした。
十六になる小女こおんなが、はいと云って敷居際しきいぎわに手をつかえる。自分はいきなり布団の上にある文鳥を握って、小女の前へほうり出した。小女は俯向うつむいて畳を眺めたまま黙っている。自分は、をやらないから、とうとう死んでしまったと云いながら、下女の顔をにらめつけた。下女はそれでも黙っている。
自分は机の方へ向き直った。そうして三重吉へ端書はがきをかいた。「家人うちのものが餌をやらないものだから、文鳥はとうとう死んでしまった。たのみもせぬものを籠へ入れて、しかも餌をやる義務さえ尽くさないのは残酷の至りだ」と云う文句であった。
自分は、これを投函して来い、そうしてその鳥をそっちへ持って行けと下女に云った。下女は、どこへ持って参りますかと聞き返した。どこへでも勝手に持って行けと怒鳴どなりつけたら、驚いて台所の方へ持って行った。
しばらくすると裏庭で、子供が文鳥をうめるんだ埋るんだと騒いでいる。庭掃除にわそうじに頼んだ植木屋が、御嬢さん、ここいらが好いでしょうと云っている。自分は進まぬながら、書斎でペンを動かしていた。
翌日よくじつは何だか頭が重いので、十時頃になってようやく起きた。顔を洗いながら裏庭を見ると、昨日きのう植木屋の声のしたあたりに、さい公札こうさつが、あお木賊とくさの一株と並んで立っている。高さは木賊よりもずっと低い。庭下駄にわげた穿いて、日影のしもくだいて、近づいて見ると、公札の表には、この土手登るべからずとあった。筆子ふでこの手蹟である。
午後三重吉から返事が来た。文鳥は可愛想かわいそうな事を致しましたとあるばかりで家人うちのものが悪いとも残酷だともいっこう書いてなかった。(終)
 いかでしたか? どのような赤線、どのような青線、そしてどのような感想が書かれたでしょうか。では読んでみましょう。
翌日あくるひ文鳥は鳴かなかった。粟を山盛やまもり入れてやった。水をみなぎるほど入れてやった。
 鳴かない文鳥を前に、「山盛」に「漲るほど」に餌や水をやり、心配する漱石の様子が伝わります。そして、この「山盛」「漲るほど」という描写が、後半での対比になります。
翌日よくじつ文鳥がまた鳴かなくなった。留り木を下りて籠の底へ腹をしつけていた。胸の所が少しふくらんで、小さい毛がさざなみのように乱れて見えた。
 ここも、実に細かい描写です。このような描写ができる背後にある、漱石の観察力。そしてその背後にある、文鳥への愛情がわかります。
翌日あくるひ眼がめるや否や、すぐ例の件を思いだした。いくら当人が承知だって、そんな所へ嫁にやるのは行末ゆくすえよくあるまい、まだ子供だからどこへでも行けと云われる所へ行く気になるんだろう。いったん行けばむやみに出られるものじゃない。世の中には満足しながら不幸におちいって行く者がたくさんある。
 ここは、前の晩に三重吉のもとで相談した知人の結婚関係の話のことである。もともと漱石の短編は、長編の「坊っちゃん」や「三四郎」などとは異なり、随筆・日記に近い要素を持っています。ですから、この場面も、そのような随筆・日記に近い部分としての、ただ単にあった話としての事実の記述であるのですが、しかし、もう一度この部分を読むと、多少象徴性が感じられませんか? この「嫁に出される」という女性を「漱石の家に貰われていく文鳥」と読み変えたらどうでしょう? 「文鳥だからどこへでも行けと云われれば行くしかないだろう。いったん行けばむやみに出られるものじゃない。世の中には満足しながら不幸に陥いって行く文鳥がたくさんある。」と読み変えたらどうでしょう? 深く考えすぎかもしれません。でも、わざわざ、この場面を書かねばならない真意があるとしたら、それは何でしょう。あまりにも、その「女性」と「文鳥」の境遇が似ていませんか? そのように「気付く」ことも、読む楽しさなのだと思います。
帰ったのは午後三時頃である。玄関へ外套がいとうけて廊下伝いに書斎へ這入はいるつもりで例の縁側へ出て見ると、鳥籠が箱の上に出してあった。けれども文鳥は籠の底にかえっていた。二本の足を硬くそろえて、胴と直線に伸ばしていた。自分は籠のわきに立って、じっと文鳥を見守った。黒い眼をねぶっている。まぶたの色は薄蒼うすあおく変った。
 文鳥が死んでしまう場面です。漱石は「喜怒哀楽」という感情を捨て、淡々と客観的に描写をします。「瞼の色は薄蒼く変った。」文鳥の瞼という、極めて小さい部分までに目を向け、淡々と描写する。そこにこそ真の悲しみを感じるのです。作家としての漱石にできることは、「じっと文鳥を見守」ること、そしてそれを文章に表現することしかない、そんな心の声が聞こえるようです。
餌壺えつぼにはあわからばかりたまっている。ついばむべきは一粒もない。水入は底の光るほどれている
 先日は「山盛」に「漲るほど」に餌や水をやったのに、今では餌は啄むべき一粒もなく、水も底の光るほど涸れている。その事実に気付いた時の無念後悔はいかばかりでしょう。
西へ廻った日が硝子戸ガラスどを洩れて斜めに籠に落ちかかる。台に塗ったうるしは、三重吉の云ったごとく、いつの間にか黒味がけて、しゅの色が出て来た。
 ここも、実に悲しい表現です。ようやく籠は朱の色が出てきて美しくなり始めた。それなのに、文鳥はいなくなってしまった。その対比が悲しさを伝えます。
自分は冬の日に色づいた朱の台を眺めた。からになった餌壺を眺めた。むなしく橋を渡している二本の留り木を眺めた。そうしてその下によこたわる硬い文鳥を眺めた。
 ここで特徴的なのは「眺めた」という語が連続的に用いられていることです。4つの文の文末すべてが「眺めた」で終わっています。またその4つの文がすべて短い文です。このように短い文をたたみかけるようにつなげ、文末を「眺めた」とそろえることで、漱石が「眺めるしかない自分の力のなさと悲しみ」を強く読者に伝えようとしています。漱石の圧倒的な筆力だと思います。
こぶしを籠から引き出して、握った手を開けると、文鳥は静にてのひらの上にある。
 ここも、一見読み飛ばしてしまいそうですが、「あれ?」という表現はありましたか? 「文鳥は静に掌の上にある。」という表現です。英語では「いる」も「ある」も同じ表現です。しかし日本語では、生物には「いる」、無生物には「ある」を使い分けています。文鳥が死んでしまった今、それを掌に載せてみると冷え切ってしまい、硬くなってしまっている。その実感が、すでに漱石に「生物」ではなく「無生物」になってしまったという事実を与え、強い悲しみになっているのです。それを「ある」という一語で見事に表現しているように思います。
十六になる小女こおんなが、はいと云って敷居際しきいぎわに手をつかえる。自分はいきなり布団の上にある文鳥を握って、小女の前へほうり出した。小女は俯向うつむいて畳を眺めたまま黙っている。自分は、をやらないから、とうとう死んでしまったと云いながら、下女の顔をにらめつけた。下女はそれでも黙っている。
 さて、問題の場面です。もちろんこの場面を、現代を基準に、そして表現通りに行動を読み取れば、漱石は冷たい人物に見えるでしょう。でも、まず、この時代の「主人」「家長」が、自分の威厳を保とうとして「喜」「哀」「楽」を示そうとしなかったという点を考慮するならば、自分の感情を「怒」という形でしか示すことができなかったのではないでしょうか。漱石が、どれほど深い悲しみにくれていたかは、この前の部分を読めば必ずわかると思います。でも、その深い悲しみを素直に「哀」という形で示すことはできないのです。たかが文鳥という小動物が死んだぐらいで、威厳のある一家の主が悲しむことはできないのです。それは、漱石の性格に拠る部分も多少はあり、その点で冷たい人物という批判は免れることはできないのかもしれませんが、でもそれ以上に、その当時の社会的状況においては、その方が普通であり、当然な態度でもあったのです。私たちは、すべてを現代の基準で考えて判断してはいけません。あくまでも、その時の行動や事柄は、その当時の社会的状況や文脈の中で考え判断するべきなのです。ですから、悲しみを素直に「哀」という形で表現できなかったのもやむを得ないのです。そして、漱石は、「哀」という形で表現できなかった感情を、「努」という感情に置き換え、すべてを「小女(住み込みで家の用事や身の回りの世話をする女性)」のせいにすることで、外に吐き出したのです。良い悪いではなく、それが漱石の悲しみの表現であることに気付いてほしいと思います。(ただ、それでも好き嫌いという感情が分かれる場面ではありますね。)
しばらくすると裏庭で、子供が文鳥をうめるんだ埋るんだと騒いでいる。庭掃除にわそうじに頼んだ植木屋が、御嬢さん、ここいらが好いでしょうと云っている。自分は進まぬながら、書斎でペンを動かしていた。
 ここは、「努」という形でしか、文鳥の死の悲しみを表現できなかった漱石が、その後、文鳥をどう始末したのか気にしている場面なのです。もちろん気になる。でもそれを聞く訳には行きません。そこで、彼は書斎で仕事をしながら、聞き耳を立てながら、文鳥を子どもたちがどう始末しているのか聞いているのです。もし、漱石が本当に冷たい人物なら、この場面、そして次の場面は書かれるでしょうか。
翌日よくじつは何だか頭が重いので、十時頃になってようやく起きた。顔を洗いながら裏庭を見ると、昨日きのう植木屋の声のしたあたりに、さい公札こうさつが、あお木賊とくさの一株と並んで立っている。高さは木賊よりもずっと低い。庭下駄にわげた穿いて、日影のしもくだいて、近づいて見ると、公札の表には、この土手登るべからずとあった。筆子ふでこの手蹟である。
 わざわざ文鳥の墓を見に行く漱石。威厳を保とうとした彼にできるのはここまでかもしれません。でもここから彼なりの精いっぱいの愛情を見てとれないでしょうか?
 どうでしたか? もちろん、一つの読み方であり、別の読み方もあるでしょうし、何より一人ひとりそれぞれの読み方が尊重されるべきだと思います。しかし、こういう読み方もある、と知るのは、悪いことではないでしょう。多くの人がそれぞれに、「僕はこう読んだよ」「私はこう思ったわ」と話し合いができると楽しいでしょうね。そして、そういうことが何よりも、真の読解力になるのですから。
さて、これで、まず、感想を書いてみてください。なんでもいいのです。感想でも意見でも、どこがどうおもしろかったのか、自分ならどうするのか、書いてみましょう。ただ、あらすじや抜き出しは要りません。本文を書き写しても意味ないですからね。自分がどこを、どう、なぜ、感じたのか。自分と心の奥深くで対話しながら、その感想を深めて、書いてみましょう。そして、それを誰かに見せましょう。見せる人を思いうかべて、その人にわかってもらうように考えながら書くのもいいかもしれませんね。頑張って下さい。
  実際の作品を読むときには、線を引いたり感想を書きこみながら読み進める方が良いので、そういう意味では、やはりPC画面ではなく、ぜひ「本」が手元にあったほうがいいと思います。 この夏目漱石の本はすべて短編ですから読みやすくおすすめです。