種田山頭火が好きです
自由律俳句ってご存知ですか?
俳句というのは本来は「形式が五・七・五で、季語がある、定型詩」ということになっています。
しかし、この自由律俳句は、「五・七・五」でもなければ、「季語」もないのです。
「自由律俳句」といえば、有名な詩人は、尾崎放哉、そして種田山頭火です。
というわけで、私は種田山頭火が大好きです。
正確に言うと、種田山頭火自身ではなく、彼の書いた自由律俳句が好きなのですが・・・
人生いろいろ。山頭火にもいろいろあって、結局のところ出家します。家出ではなく出家です。
さらに彼は寺を出て雲水姿で西日本を中心に旅をし句を作ることとなります。
何も持たず歩きまわり、施し物だけで過ごす毎日。
何も持たないからこその清い心情と、でもその底に流れる人間としての本音。
清いけれど気高さはなく、過去を振り返る目と行く先を見つめる目。
そんな対比が心の奥にある琴線に触れるのです。
私が好きな句を十種ほど・・・
分け入つても分け入つても青い山
まつすぐな道でさみしい
酔うてこほろぎと寝ていたよ
鴉啼いてわたしも一人
捨てきれない荷物の重さまへうしろ
何もかも雑炊としてあたたかく
まったく雲がない笠をぬぎ
何が何やらみんな咲いている
かさりこそり音させて鳴かぬ虫が来た
もりもり盛りあがる雲へあゆむ